さめたコーヒー

kbaba1001's blog.

愛について

僕は「愛」という言葉が嫌いだ。「愛」という言葉はいつまでたっても意味を覚えることが出来ない英単語みたいでイライラする。 定義が曖昧なくせに、みんなこの言葉が大好きだ。まるで母親の子宮に自分が作られはじめた頃から誰もが「愛」の意味を知っているかのように。

馬鹿げている。もし大衆たちが母親の子宮で形成される時に「愛」って言葉を知るのなら、僕はきっと胎内にそれを忘れてきたのだ。 あるいは、母親が「愛」という言葉を知らなかったのだ。

僕の母にあるのは、支配欲、庇護欲、ヒステリック。そんな土壌でよいものが育つはずもない。

愛なんて概念は馬鹿げている。姿も形もなく実態のないものに大層な名前をつけるものじゃない。

定義の曖昧な言葉を使うのは詐欺師だけ。「愛」という言葉の定義は曖昧だ。だが誰もその定義について語ろうとしない。

僕が「君は今『愛』って言ったけど、それってどういう意味?」というと、相手は眉をしかめて別のことを始める。皿を洗ったり、掃除機をかけたり。 僕の質問には答えてくれない。

僕が定義するなら「愛」という言葉は「嘘」という意味だ。 「愛」とは何一つ真実を語らない。

嘘、嘘、嘘...。愛はいつも嘘だらけだ。

なぜそんな曖昧なものを大衆は信じるんだ?全くわからない。

仮に誠意を伝えるにしても、別の言葉を使えばいい。「大切に思っている」とか「君が必要だ」とか。 「愛」なんて定義の曖昧な言葉を使う必要はない。

「愛」なんて言葉は早すぎる抽象化だ。間違ってる。美しくない。 だから僕は「愛」を「嘘」と定義することしか出来ない。