さめたコーヒー

kbaba1001's blog.

「遠慮の塊」という言葉について

「遠慮の塊」という言葉が好きだ。

意味としては、飲み会等で複数人で食事をしているときにいつまでも大皿に残っている食事のこと。 寿司とか焼き鳥とかの最後の1個が大皿に残り続けている時、それを「遠慮の塊」という。

この言葉はすごくしょうもない。「くだらねー」と思う。 たぶん酔っ払ったおっさんが飲み会のノリで思いついたのだろう。 あるいは飲み会にうんざりした若者が思いついたのかもしれない。

でも結構的を射ている。大皿に残っている最後の1個の食べ物は、誰か食べればいいのにお互いに遠慮して食べない物なのだ。 だから遠慮の塊であってる。筋が通ってるし、なんとなく言葉の響きが面白いからちょっと普及している言葉なのだと思う。

で。

なんで僕がこの言葉が好きかと言うと、「遠慮の塊」という言葉の響きが格調高い感じがするわりに、内容がしょうもなく、それでいて「遠慮」という曖昧な概念が物理的な形で現れていることが好きだ。大衆が美徳だと思っている「遠慮」というものが、形にしてみれば案外しょうもないものなんだよ、というアイロニーも感じる。

ちなみに僕は遠慮の塊をみつけると、まっさきに食べる。お腹いっぱいでも食べる。 「遠慮の塊」は「遠慮」という概念の象徴なので、「自分は遠慮などしない!」という意思表示のために食べる。 食い意地が張っているわけではなく。